「五輪よかった!」の爽快な構造【佐藤健志】
佐藤健志の「令和の真相」31
◆社会が「統合失調」となった夏
これについては、1964年の東京五輪でも同じパターンが見られたとする主張があります。
開催決定直後こそ、みんな感激して興奮していたが、その後は懐疑論が高まり冷ややかになった。
けれども開催が近づくにつれて、ふたたび期待が高まり、熱狂のうちに大会は成功を収めた、という次第。
ごく大まかにはその通りです。
し・か・し。
1964年五輪の場合、期待がふたたび高まりだしたのは1963年の前半。
開催の約一年半前です。
その後、期待は高まる一方。
ひきかえ2020年五輪(一年延期されても「2020年」なのです)では、開催の五日前になっても反対が55%!
こういうのを「同じパターン」と呼ぶんですかね?
ついでに1964年五輪の際も、開幕(10月10日)の一ヶ月あまり前、8月25日にコレラ騒ぎがありました。
ただし徹底した防疫活動が展開された結果、一週間後の9月1日には終息が宣言されています。
大会期間中にコレラがぶり返したという話もありません。
ひきかえ2020年五輪はどうか。
開催都市である東京には、開幕11日前にあたる7月12日、緊急事態宣言が発令されました。
それでもコロナの感染拡大には歯止めがかからず、開催中の8月2日には宣言の対象地域が拡大されて6都府県となります。
医療崩壊の危機が現実のものとなる中、政府や東京都は「五輪が感染拡大につながっているとの考え方はしていない」という旨を繰り返すことで、どうにか体面を保とうとする始末。
前回うまく行ったことが、今回はことごとく裏目に出ているのです。
「ふざけるな、この状況で何がオリンピックだ!」
そんな声が高まっても不思議ではありません。
というか、それが当然。
けれども国民は熱狂した。
感染者が最多を更新しようが、重症以外の患者の入院を制限する方針が打ち出されて物議をかもそうが、メダル獲得に感動しつづけた。
コロナへの不安がなくなったわけではないでしょうが、それが五輪への興奮に影響を与えなくなったのです。
こうしてテレビのニュースでは、みごとにシュールな光景が繰り広げられる。
コロナ感染拡大を深刻な顔で伝えていたキャスターが、五輪の話題になるや表情を輝かせ、弾んだ声でアスリートの活躍を伝えるのです。
順番が逆転する場合もありますが、「疫病が蔓延するさなか、緊急事態が宣言されている都市で、国際的なスポーツイベントを開催する」ことの異様さには、画面の誰もが触れようとしない。
精神が分裂状態に陥る疾患を、わが国では「統合失調」と言いますが、2021年の夏、日本社会は統合失調になったのでした。